最期の瞬間に立ち会えなかった家族へ|それでも看取れなかったわけではない

在宅看取り

こんにちは。こんばんは。シンママナースのたまごです。

わたしは職業柄、人が亡くなる場面に遭遇することがあります。

呼吸が止まる瞬間に立ち会わせていただくこともあれば、「止まりました」とご家族から連絡をいただいたり、訪問したら呼吸が停止していたりすることもあります。

今回は、大切な人の「最期の瞬間」についてお話しさせていただきたいと思います。

「最期を見てあげることができなかった」

ある患者さんのお話です。

80代の女性で、がん末期の状態でした。

「あと数日だろう」

わたしたちもご家族も、その数日をそれぞれの思いで過ごしていました。

ご家族も「家で死にたい」という本人の思いを必死で支えられていました。

意識レベルが低下し、血圧も測定できず、「今日1日もてばいいなぁ」と思う日がやってきました。

ご家族へ「数時間かもしれない」と伝えると、

「息が止まったら、連絡します」

と気丈に答えてくださいました。

しかし、昼前にご家族から、

「呼吸が止まっているんです」

と大泣きで電話がありました。

朝の気丈な様子とのギャップが大きく、「何かあったんだろうか?」と思いながら、最期の訪問に向かいました。

すると、

「わたしが洗濯物を干しに行った数分間で呼吸が止まってしまった。最期を見てあげることができなかった」

と泣いていらっしゃったのです。

呼吸が止まる瞬間を見ることだけが「看取り」なのだろうか

わたしもそうだったのですが、「呼吸が止まる瞬間を見ること」が看取りの目標になっている方は多いように感じます。

でも私は、まるでその瞬間を患者さん自身が選んでいるかのように感じることがあります。

「呼吸が止まる瞬間を見せたくない」

そう思う方もいらっしゃるのではないかと思うのです。

「本当の気持ちなんてわからないじゃないか」

と言われるかもしれません。

もちろん、本当のことは誰にもわかりません。

でも、いつもの日常の中で最期を迎えたいと望んでおられる方がたくさんいらっしゃることも、知っておいてほしいと思います。

患者さんを囲んで、今か今かと呼吸が止まる瞬間を家族みんなで見守ることは、いつもの日常生活とはかけ離れているようにも感じます。

だから、ふとトイレに行った瞬間。

お風呂に入った数分間。

洗濯物を干していた、ほんのわずかな時間。

その間に大切な人の呼吸が止まったとしても、

「なんで見てあげられなかったんだ」

と、自分を責めないでほしいと思います。

眠っている間に最期を迎えた患者さん

もう一人の患者さんのお話です。

100歳を超える高齢の女性でした。

一度、誤嚥性肺炎になって入院されたのですが、著しい回復は見込めず、体力の低下も顕著であったため、ご家族は自宅での看取りを希望されました。

認知症もある方でしたが、ご家族の献身的な介護で思った以上に元気になられました。

会話ができるようになり、笑顔も見せてくださいました。

「このまま元気になるといいなぁ」

ご家族がそう話されていたくらいです。

しかし、そんなお話をした翌朝、呼吸が止まっていました。

連絡を受けたのは、朝の6時半くらいです。

ご家族も患者さんも眠っていました。

そして、そのまま呼吸が止まったのだと思います。

もちろん、ご家族は呼吸が止まる瞬間を見てはいません。

でも、患者さんの表情を見て、

「苦しそうにしていないね」

「寝てるみたいだ」

と話してくださいました。

最期の瞬間に立ち会えなくても、看取れなかったわけではない

「眠るように死ぬ」

誰もが一度は、そんな最期を思い描くのではないでしょうか。

大切な人の最期に立ち会えなかったとき、

「どうしてあのとき離れてしまったんだろう」

「なんで眠ってしまったんだろう」

と、自分を責めてしまう方がいます。

でも、看取りは、呼吸が止まるその瞬間だけではないと、わたしは思っています。

「呼吸が止まる瞬間を見せない」

そんな美学のようなものを、患者さんから感じることがあることも知っていてもらいたいです。

ご飯を食べてもらったこと。

身体を拭いたこと。

何度も声をかけたこと。

眠れない夜を一緒に過ごしたこと。

そのすべてが、看取りだったのではないでしょうか。

もしかすると、家族がほんの少しその場を離れたときに旅立つことも、その人が選んだ最期だったのかもしれません。

本当のことは、誰にもわかりません。

だからこそ、最期の瞬間に立ち会えなかったことで、

「看取ってあげられなかった」

と、自分を責めないでほしいと思います。

あなたがそれまでそばにいた時間も、ずっと看取りの時間だったのですから。

ご家族がそばで支え続けてきた時間や想いも、きっとその方に届いていたのではないかと、わたしは思います。

どんな最期を迎えたいのか。元気なうちに家族で話すのは、少し勇気がいることかもしれません。

でも、本人の想いを知っておくことは、いざというときの家族の支えにもなります。

わたし自身が父と「人生会議(ACP)」について話したときのことを、こちらの記事に書いています。

👉 「人生会議(ACP)って知っていますか?|父と5分だけ話して分かった大切なこと」

在宅での看取りは、ご家族だけで支えるものではありません。訪問看護や多職種で支えた在宅看取りについては、こちらの記事でもお伝えしています。

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