「人生会議」という言葉を知っていますか?

在宅介護の話

こんにちは。シンママナースのシロミです。

 みなさん、「人生会議」という言葉をご存じでしょうか?
以前に厚生労働省が発行したポスターが炎上し、思いもよらないところで「人生会議」という単語を知った方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の愛称として令和元年に生まれた「人生会議」という単語ですが、訪問看護師としてはなかなかプレッシャーの強い言葉だなぁというのがわたしの印象です。

アドバンス・ケア・プランニング(ACP)

 「人生の最終段階を迎えた本人や家族等と医療・ケアチームが、最善の医療・ケアを作り上げるための合意形成」のことだそうです。

 実際、厚生労働省のホームページにはACPについての動画を含む、たくさんの情報が載っています。興味がある方はぜひホームページを確認してみてください。

ACPって何?

 実際ACPって何?という話になるのですが。

簡単に言えば

死んじゃいそうなときに「どんな医療を受けたい?どんなケアをしてもらいたい?」と確認すること。そして、それをきちんと身内(友人含む)に伝えておきましょう

という話です。

 なぜ、この話がわたしたち医療人に重要ポイントとして話題になっているのかというと「(自分が)思い描いていた死に方と違う死に方をする人が多いから」です。

死ぬ場所を決めることができなくなる?

 2040年問題をご存じですか?

 主な特徴としては①65歳以上の高齢者が全人口の35%以上に達する、②「団塊ジュニア世代」が65歳以上を迎える、③生産年齢人口(15~64歳)が減少する、④建設後50年を迎える公共施設・インフラが増加する、というものらしいのですが。
 簡単にいうと、公共施設などを建て替えるための費用はたくさんかかるのに、働ける人が少ない状態になっているということですよね。

 日本経済もお金がない状態が始まるということだと思います。
そして、医療・福祉業界では医療・介護費の増大、医療資源の逼迫が深刻化するということが懸念されています。

 高齢化が進むことでの医療・介護費の増大はなんとなくわかりますが、医療資源の逼迫というのはなぜだろうと思い、調べてみました。
 そうすると、看護師や介護士などの担い手が不足するからだということがわかりました。ちなみに、入院病床を有する病院で働く看護師や介護士が不足してしまうと、入院するということ自体が困難となります。そもそも、働く人がいないということは病院経営自体が立ち行かなくなる可能性も考えられます。
 必然的に「在宅」で過ごさなければいけない人が増えてくるということになります。

戦前・戦直後

 わたしが訪問看護を始めたころにはすでに「在宅看取り」という言葉がありました。そして、それはさらに広まっている印象です。(わたしがその業界に入っているからかもしれませんが)

 戦前・戦直後は「自宅で死ぬ」ということは当たり前だったそうです。わたしの祖母に聞いても、「お母さんもお父さんも家でみんなに囲まれて死んでいったよ」と懐かしそうに話してくれます。
 おじいちゃん・おばあちゃんがいて、兄弟姉妹も多くて、介護や育児を家族総出ですることが当たり前だったそうです。
 病院の数も少なくて、診療所の先生が自宅まできて診察してくれていたそうです。

 朝ドラや戦争映画などでも、見たことがあるかもしれませんが。座敷に布団を敷いて、周りを家族みんなで取り囲む。話をしながら、家族で最期の時間を過ごす。

 そんな場面がどこの家でも見られたそうです。

病院で死ぬ人が増えてきた

 しかし1975年(昭和50年)を基点に、自宅で亡くなる人と病院で亡くなる人の割合が変わります。

 核家族化が進んだことや、勤労時間の延長・勤務体制の変化などが、入院患者を増加させた一因だと考えられています。

 病院で最期を迎える第一のメリットとしては、医療従事者が24時間365日、病院内にいてくれるため安心した時間を過ごすことができることだと思います。
 また、家族へ介護の負担など迷惑をかけなくてすむといったこともメリットだと思います。

 しかしもちろんデメリットもあります。
 基本的に病院は、医療行為(点滴や酸素投与など)がないと入院ができません。そのため入院できる病院が限定されてしまったり、(特別料金がかかるため)個室を希望できずプライバシーを確保できない、集団生活によるストレス過多、家族との時間が制限されるといったことになると思います。

 病棟で勤務した経験のあるわたしの私見ですが、「治療をするための入院」には納得できる人が多いです。しかし、「治療できない状態での入院」にはストレスをためていく人がとても多かったなと思いだします。

 それほど、入院は「頑張るもの」であり「安らぐもの・落ち着くものではない」と捉えている人が多くないのだと思います。

これからの日本で起こることは・・・

 「自分が望んだ場所(病院や施設など自宅ではないところ)で死ぬことができなくなる可能性がある」ということです。
そして、家族は「自宅で家族の最期を看取らなければいけない可能性がある」ということです。

 つまり、本人・ご家族の希望どおりには最期を迎えることができない可能性があるということです。自宅で死ぬしかない・・・ということになりますね。

 では、自宅で死ぬということがどういうことかという話を考えていきたいと思います。

 今の世の中は・・・高齢夫婦のみ。もしくは高齢者の一人暮らしのみという世帯が増えています。
 若い世代が同居していないため介護力不足というものが一番に懸念されます。同居していたとしても、日中は就労されているため一人で過ごしている高齢者も多くいます。
 もちろん、介護保険を利用してのサービスは利用することはできます。しかし1日のなかでわずかな時間しかサービスを利用できない1となれば、介護力不足が起こることは誰しもが考えられるものだと思います。

希望を確認しあってみましょう

 「最後まで、自分でトイレに行きたい」
 「(最低でも)週に3回はお風呂に入りたい」
 「ご飯が食べられなくなっても、経管栄養(鼻もしくは胃に直接穴をあけて栄養剤を注入すること)はしないでほしい」
 「点滴はしないでほしい」
 「痛い思いはしたくない」 などなど。

 話ができなくなったり、認知症で自分の意見を正確に伝えられなくなった時のために「今の」自分の想いを伝えておく(残しておく)ための話し合いをしてほしいなと思います。

 一方的ではない(相互の意見を伝え合う)ことが前提となりますが。自分の想いを知っておいてもらうことはとても大切なことです。そして、家族や友人と自分の想いに対して話し合いをしてもらいたいです。

 ちなみに、希望を伝えるのは高齢者だからではありません。若くても「死」というのはすぐ隣りあわせです。そのため、お互いに伝え合っておくことが重要だと思います。

人生会議をやってみた

 わたしは、父と母、小学生の子ども2人とわたしの5人で暮らしています。

 先日、父がステージ1の前立腺がんと診断されました。手術をして、ひとまず様子をみていくことになりました。

 がんと診断された父は病院へ連れていっている車の中で、「できるだけ家にいたい」とわたしに言いました。
もちろん、がんになったからといって父を追い出すようなことはしません。しかし、寝たきりになってしまうような状況になれば話は変わります。

 わたしの家は、わたしが大黒柱です。わたしが仕事を続けていかないと、食べていくことはできません。仕事をしているので朝から夕方までは基本的に家にいません。母が介護をするにしても一人では難しいと思います。
 もちろん、子どもたちもそれなりに手伝ってくれるとは思いますが、おじいちゃんの介護をすることを義務にはしたくありません。

 わたしは、父の「できるだけ家にいたい」という気持ちは、時と場合によって受け入れることができないものになる可能性があるということを伝えました。

 「一人でトイレに行けないとか。おむつ交換が必要な状態になって、ヘルパーさんだけでは対応ができない状態になれば家で過ごすのは難しいと思うよ。子どもたちもいるから、仕事は辞められないから」とわたしは伝えました。
 父は「動ける間は家にいたい。そして、できれば家で死にたい」と。
 わたしは「死にそうになったら家に連れて帰ってくるよ。介護休暇も取れるだろうし。だからそうならないようにお父さんはお父さんで頑張ってほしい」と伝えました。
 父は「がんばるよ」と一言。

 たった5分程度の人生会議でした。
実際の父はステージ1で今のところ再発もなく、腫瘍マーカーも落ち着いている状況です。すぐに死んでしまうようなことはないと思いますが、父の気持ちを聞けたこと。わたしの想いを伝えられたことはすごくよかったなと思っています。

言葉にすることが大切

 「人生会議」というとすごく重たいものになってしまうのですが、「思いを言葉にして伝える」ということはすごく大切だと思います。

 本来であれば病気になる前に、一度「○○はしたくない」「△△で過ごしたい」「□□はしたい」という思いを伝える時間があればいいなと思います。

 病気になってから人生会議をすると「(自分は)死ぬんだな」と思わせてしまう不安があります。病気になってしまった人に追い打ちをかけてしまう可能性があるかもしれないということを考えなければいけません。

 「病気になった」ことがきっかけではなく、「60歳になって介護保険証が届いた時点」や「お盆に親戚みんなで集まった時」などに話をしてもいいかもしれません。
 できれば10年ごとなど節目で家族で話しをしてもらえればいいなぁと思っています。(臓器提供についても話してほしいです)

 親でも子どもでも、ましてや夫婦でもそれぞれ別の人間です。考え方や思いが違うのは当然です。そして、病気になるタイミングも人それぞれです。

 元気な時に「今の思い」を大切な人にぜひ伝えてみて欲しいなぁと思います。

  1. 介護保険や医療保険は訪問時間が基本的に決められている。30分以上60分未満が基本となっている。 ↩︎

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