自宅で介護をするということ

在宅介護の話

こんにちは。シンママナースのシロミです。

わたしの仕事は訪問看護です。仕事はすごく楽しくて、充実した毎日を過ごしています。そしてわたしなりに、仕事に対して誇りをもっています。

今回は家族に介護が必要になった場合にどうするか・・・ということを考えていきたいと思います。

介護が必要になるということ

 骨折してしまった、脳卒中になってしまった、認知症になってしまった、がんになってしまったなど。介護が必要となる理由は様々です。もちろん、老衰を含め、亡くなっていく方(言葉が適切でないと思います。申し訳ございません)が思うように動けなくなったために介護が必要となる場合もあります。

介護とはどのようなことをするのか。

 おむつ交換や食事介助、お風呂入れや身体拭き、身体の向きを変えたり、立ち上がらせて車いすに乗せる、車いすを押す、手を引いて歩く、食事を作って食べさせるなど数えきれないほどのケアがあります。

 もちろん、対象者によってケアの程度や内容は変わりますが、同居家族も含めて、介護者は生半可な気持ちでできるものではないと思っています。

 数日や数週間、数か月であれば何とか頑張ることはできます。しかしほとんどの場合、介護には終わりが見えません。終わりが見えると思われている介護(看取り介護)であっても、余命1ヶ月が半年になった人を何人も経験しました。

 もちろん家族として「長生きをしてくれて嬉しい」という気持ちはあるとは思いますが、介護をしている家族にとっては大変さが上回ってしまうことも多いのではないかと思います。

 病気や障害を抱えていても自宅で過ごすことができるということは、すごく素敵なことだとは思います。ただ、素敵なことの裏側には頑張っている人がいることを訪問看護師として頭に入れて仕事をしなければいけないと思っています。

 小さい子供であればオムツ交換や着替え、入浴などのケアをすることは女性一人の力でも可能だと思います。

 しかし、お年寄りや成人した方であれば女性一人はもちろんのこと、男性でも大変なケアは多いです。

 お年寄りになればなるほど骨突出が多く、力の入れ方によっては骨が折れてしまうことも多いです。また、お年寄りは身体がとても硬いです。関節の可動域もかなり狭いです。そのためオムツ交換のケア一つをとっても、とても難しいものになってしまいます。

できていたことができなくなる・・・

今まで当たり前のようにしていたことが、できなくなっていく。
それは、介護をする家族にとっては精神的に受けるダメージはかなり大きなものになります。

 トイレに1人で行けていたのに、手すりや杖を使わないとトイレまでいけなくなった。
尿意を感じてから排泄をするまでは間に合っていたはずなのに、間に合わなくなり(トイレや下着を)汚すことが増えた。
便座から立ち上がって下着やズボンの脱着が一人でできていたのに、立ち上がることができなくなった。下着やズボンの脱着をするとフラフラするようになった。転倒してしまうようになった。
 など、今までできていたことができなくなったり、少しだけ手伝いが必要となったりするのです。

 介護者は「どうして?」「できていたのに」と不満が多くなります。手伝いとしては「少しだけ」なのですが、手間が取られることは同じことです。

 何より、介護をしてもらっている当事者も「自分はできる!」「失敗して恥ずかしい」と思っているので、介護をしてもらうことを拒否してしまう人が多いのです。

家族介護のはなし

 以前、関わらせていただいた患者さんの話です。

 患者さんは80歳代の男性です。80歳代の奥様と二人暮らしで、長女さんは車で1時間半くらい、次女さんは歩いて来られるくらいの近所に住まわれています。
 ご家族全員の関係性は良好で、お孫さんも含め誰かが毎日顔を出すようにされていました。

 患者さんは、大腸がんで余命半年ほどと宣告されていました。ご本人も病気や余命について、しっかりと理解されており、その上で「動けるうちは」と自宅へ戻ってこられました。
「動けなくなるとおかあさん(奥様)に迷惑をかけるから。最後は病院で死ぬから」と、一番最初にお会いした日に教えてくださいました。

 80歳代の奥様が食事を作られますが、「おとうさん(患者さん)を一人おいて、買い物にはいけない」と言われます。そのため次女さんが「買い物は私が行くね」と引き受けてくださいました。

 「一人で風呂に入るのが不安」とご本人が言われたので、入浴介助はわたしたちが行うことになりました。

 1週間ほど経過した訪問日に「最近夜になると熱がでる」と報告してくださいました。カロナール(解熱剤)を朝・昼・夕に内服されています。
 今までは1日3回の内服でコントロールが図れていたのですが、病状が進行していることもあり途中で効果がきれてしまい、夜中2時ころには38.0度台の発熱がみられるようになっていました。すぐに主治医へ連絡しカロナールを1日4回に増量してもらいました。すると夜中の発熱はなくなるようになりましたが、心配性の奥様は熱を測るために夜中に起きていました。そのため日中も眠気が続いてしまう状態になってしまいました。

 また、がんが大きくなってきたことが原因で、排尿障害が起こるようになりました。自尿が出なくなってしまい、それに伴い腹痛が強くなりました。膀胱に尿が溜まっているために痛みが出てしまうのです。
 すぐに尿カテーテルを挿入し対応しましたが、膀胱の中には血尿が溜まっていました。尿の中にある血液が固まってしまい、何度もカテーテルが閉塞してしまいます。その都度、洗浄して固まった血液を除去するという処置が必要になりました。
 カテーテルが閉塞すると、尿を排出することができず膀胱へ尿が溜まってしまい、腹痛が増強するのです。わたしたちが毎日朝・夕と訪問し、カテーテル内の洗浄を実施しました。
 奥様は溜まった尿を破棄するだけならとのことで、毎日尿袋(バルンバック)破棄するケアを実施してくださいました。

 がんによる痛みもひどくなってきました。夜中だけではなく、日中もするどい痛みが突然襲ってくるのです。麻薬テープ(シップのようなもの)を使用し、頓服でさらに麻薬の錠剤を追加してもらいました。
 いつ痛みがひどくなるかがわからず、おとうさん(患者さん)から目を離すことができなくなりました。昼夜ともに奥様の負担が増加しました。

 奥様の負担が増えたことにより、洗濯物や食事などの家事がおろそかになり始めました。おとうさん(患者さん)も何度か「入院しようかな」と言われていたのですが、奥様が「わたしが一人では病院に行けないので、もう少し家にいてほしい」と希望されたのです。

 その希望をご家族全員が受け入れられました。
しかし、その希望を叶えるために次女さんの負担が増えてしまいました。

 次女さんは朝、実家へ行き、洗濯物や食事の準備をしてから出勤。仕事が終わってから実家へ行き、おとうさんとおかあさんの様子を見て必要な家事やケアをする。そして自宅に戻る。ということを繰り返されていました。

 この患者さんが自宅で過ごせた時間は2ヶ月半ほどで、最後の1ヶ月は次女さんの負担が大きかったと思います。何度もレスパイト入院などもお勧めしましたが、「母が父と一緒にいたいというので」とのことでなかなか話を進めることができませんでした。

 最後は、血尿が増えたことやさらに痛みがひどくなってきたことで、おかあさんから「入院させてやってほしい」と言われ、すぐに入院となりました。
 入院後も次女さんはおかあさんを病院まで連れていったりと大変そうな様子でしたが、精神的にはホッとされたのではないかと思います。

問題点ってなんだったんだろう

 今回、次女さんは50歳代後半の方で次女さんの子どもたちもそれぞれ成人されており、祖父の体の状態についてはしっかりと理解されていました。また長女さんや次女さんの子どもたちからの協力体制もあり、みなさんができる限りのことをしてくださっていました。

 では、なぜわたしたち訪問看護師から見て次女さんにだけ負担が大きいと感じる場面が多かったのでしょうか?

 ・公的サービスの導入が最低限(訪問看護と福祉用具)しかなかったこと。
 ・両親の希望をすべて叶えてあげようとしてしまったこと。
 ・痛みや出血などの症状が急激かつ急速に出てきてしまったこと。
この3つが一番大きな理由ではないかと考えました。

 公的サービスの導入が最低限であったというのは、わたしたち訪問看護を含むサービスのことです。
80歳代夫婦のみの家庭であれば、ヘルパーさんでの身体介助(おとうさんの身体拭きなど)を導入して、おかあさんが一人で買い物へ行く時間を確保してもよかったのだと思います。もしくは訪問入浴を導入する。わたしたちがサービスをしている間におかあさんが家事をする時間を確保するなど・・・・

 しかし、おかあさんはおもてなし精神の強い方でもあり、なかなかおとうさんから離れることができない方でもありました。
 逆をいえば、おとうさんをわたしたちに任せておけるほどの信頼を築くことができなかったのだと思います。

 両親の希望を叶えるということは、本当に素敵な話だと思います。ただ、全てを一人で抱えるのは無理です。もちろん、みなさんもフォローはしてくださっていましたが、次女さんに比べると負担量が全違ったのではないかと思います。
 「大丈夫だよ」「わかったよ」と言って引き受けてくださっていた次女さんに、多くの負担がかかってしまいました。

 おとうさんやおかあさんも次女さんに負担がかかっていたことは気づいていたと思います。しかし、親としての想いと少しでも夫婦として一緒にいたいという気持ちのバランスがうまく取れなかったのだと思います。
 夫婦や家族の愛は誰かの犠牲の上に成り立ってしまうと大変だなと思いました。

 今回紹介させていただいたご家族ですが、退院当初は訪問診療の導入はありませんでした。
 おとうさんの体調も良好で、ご家族全員が「そんなにすぐに悪くなるわけがない」と思われていた印象があります。退院後1週間ほどで発熱がみられたときに、訪問診療について説明をしましたが導入までには至らず。「もう少し様子をみたい」との返答でした。
 症状が出現する都度、訪問診療の話はしていましたが「動けなくなったら入院する」「何かあったら入院する」の返答でなかなか導入にまでは至りませんでした。

 しかし、排尿障害が出現。尿カテーテルを挿入しましたが、腹痛も出現したため訪問診療の導入が実現しました。

 もう少し早く訪問診療が導入できていれば、痛みや出血などの急激な症状変化についても緩和できていた可能性が大きいです。
 わたしの持論ですが、訪問診療をしている先生は、痛みのコントロールを図ることが上手な人が多いです。
 家族としては、痛みに苦しんでいる姿をみるだけで不安が強くなり、介護生活に自信が持てなくなるからだと思います。
 ちなみに急激な症状としましたが、急激と思われているのはご家族と本人だけだったと思います。わたしたち看護師からみると、急変するリスクの高い方であることは周知していました。

告知を受け入れる

 この事例については、わたしたちの説明不足も多々あったと思います。しかし、「ご家族の受け入れが、実は悪かったのではないか」と事例の振り返りをした際に出た言葉です。

 訪問診療導入についても、最低限の公的サービスの導入についても言えることですが、実は家族全員が「おとうさんの余命」について、きちんと理解できていなかった可能性があるのではないかという見解が出ました。

 以前も書かせていただいたと思うのですが、希望をもつことと生きるということはイコールではないということです。
 イコールにしてしまうことで、「おとうさんは長く、家に居てくれる(はずだ)から訪問診療はいらない」とか「おとうさんの世話はわたしたち家族だけでする!」という気持ちが大きくなるのだと思います。おとうさんが死ぬかもしれないという気持ちに蓋をしてしまうのです。
 その不安を共有する相手として、わたしたちがいるのですが、それがうまくかみ合わない。「お父さんが死ぬかもしれない」ということを頭ではわかっていても、それを言葉にすることをためらってしまうという方が一定数いらっしゃるのだと思います。

 半年といわれている余命が1年になるように!
 おとうさんなら2年は生きるよね!!

と話をするのはいいことだと思いますし、わたしたちも同じような気持ちでケアに入らせていただいています。

 だからといって「サービスを利用しない」ことを選択するのではなく、「何かあった時のため」に動いていくのです。少しでも長く家にいてもらえるように。最期まで自宅で過ごしてもらうための、準備をするのです。

 ご家族が倒れてしまったら元も子もありません。何よりも介護をする家族が少しでもラクになることが在宅介護の一番のキモだと思います。
 最後の最後は、全力でサポートしていただかなくてはいけないです。だからそれまでは少し力を抜いて頼ることをしてもらいたいです。

自宅で介護をするということとは

 訪問看護していて、最期の時間を自宅で過ごされている方&ご家族は、変な言い方かもしれませんが「やり切った」感がいっぱいです。
 自宅で過ごした時間が短くても「やり切った」という気持ちは変わらないみたいです。

 家族としては「連れて帰ってあげられた」という想いだけで満足されているのだと思います。

「ありがとう」や「昔はこうだったよねぇ」と話をしながら、冷たくなっていくお身体をご家族と一緒に身体拭きや洗髪をさせていただきます。思い出話をしながら笑ったりすることも少なくありません。

感謝の時間を過ごすということのかなぁ

 「生まれてきてくれてありがとう」
 「生んでくれてありがとう」
 「育ててくれてありがとう」
 「一緒に時間を過ごしてくれてありがとう」
 「最期までわがままを聞いてくれてありがとう」
 「介護をしてくれてありがとう」
 「最期まで一緒にいてくれてありがとう」

など、たくさんの感謝を伝え合うことができる時間なのかなぁと思うことが多いです。

 自宅で介護をするということは、病院で過ごすよりもずっと「感謝」を身近で感じることができる貴重な経験だと思います。


 

 

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